近況

近況

5/13 6:45 いやぁ、昨日は慌ただしかった。結局 お経巻は妙音菩薩品と観世音菩薩品の解説を読んだんだけど、25番は4ページほど残してしまった。レントゲンをして、解説を読んで、午前中ギリギリにシャワー浴して、昼食、解説読んで、お見舞いにきてくれた人がいて話が盛り上がってしまい、リハビリが遅くなった。ギリギリでした。その後グッタリで、寝込みました。朝の時点で、頭が重いと思ったら、大概 血圧が高い。いくら深呼吸してもダメ。よく寝ないと。帰宅してもしばらくは眠剤、飲もうかなぁ、、、結局は健康は睡眠からだと思うし。ゲームとか動画とか、やめない限り、休まらない。他に目をやらないと。自分ができそうなところから始めていかないと続かない。起きたら、休みの日は、散歩に出て綺麗な空気を吸い込み、太陽を浴びて30分でもいいから帰宅すれば、時間が穏やかになる気がする。仕事が忙しすぎると、それができなくなって、木阿弥に。だから、音楽やってる人は、その合間を縫って演奏してるわけで、昔の私なら、やってたことなんだよね。仕事の帰りに、ロッカーに入れてタヌモツを持って仕事場に行って演奏してた。あの時は、二重だったから、大変でした。今でもできないことはないはず。ただ、ピアノの練習をしなおさないと。情熱よ、どこに行ってしまったのか。。

18:59 今日は、以前見た夢のご指導の回答を会長からいただきました。課題として、無量義経 説法品と、行法経の513ページと514ページのところをよく読むように、でした。解義の中にも合って、「二つの観察」というところにも書かれているらしいのですが、そこは、会長の解説なしでは難しいので、前者のところを理解すれば、道は開けるということです。今日、自分に降りかかった悩まされる言葉があって、これは引っ掛けているなと思いつつ、ちょっと頭に来ていて、でもこのお言葉をいただいて、納得でした。説法品に書かれていることは、大荘厳菩薩がお釈迦様に質問することから始まります。今までと違う、なぜ無量義というものを推奨するのかということ。義は同じだけど、解かれる人や場所・時代などにより解き方が違うけど、根底は一緒という。初中後全て、義は同じだけど、解き方が違うんだということを仏は説明します。四相の始末という、「生・住・異・滅」、つまり、物事は全て移りゆくものとみる。同じ人がいて、さっき言ったことと、今行ったことが違っても 普通なら怒ったり または 注意したり するだろうけど、物事を「生・住・異・滅」と感じていれば、何が起ころうとも驚かなくなる、という話。だから、人に何かを言われても、常に同じことは言わず、コロコロ変わっていく、そして異なって消えていくもの。噂と同じ。ということです。それに対して、反応したりするのは、空気に対して怒っているのと同じだよって、お釈迦様はおっしゃいます。空観です。空法ともいうし、実相とも言います。それが基本であるので、わからないと、法華経は解かれないことになっています。実装がわかっていないと、たとえ聞いても受け入れられなくて耐えられないそうです。妙法蓮華経という本が出ていますが、そこには、法華経は解かれていません。説かれたという話はするけど、この妙法蓮華経のお強巻が法華経ではないのです。八千頌般若経が法華経であって、それにマハーバーラタやスッタニパータを合わせて読むことで、より繋がっているとわかるわけです。ユディシティラが薬王菩薩で、アルジュナが妙音菩薩、ビーシュマが薬上菩薩で、クリシュナがヴィシュヌ神であり、お釈迦さまの前世だという。そうすると、いかに太古から、この菩薩たちとお釈迦様は繋がっていて、いろんなことを行なってきたかがわかります。妙法蓮華経本の26番 陀羅尼の中に、持国天の陀羅尼がありまして、あれは、マハーバーラタの中で語っていることと同じ話を説いています。クリシュナは、当時、武家たちが所有していた世界を一気に滅ぼせる道具を、どうにか無くしたいと思い、二大勢力を潰す計画を立てます。見事、成し遂げて、その仲間内で火を囲み 宴会を開いていると、だんだん異様な空気になり、一族同士で殺し合って、全滅します。クリシュナは、それを含めても、世界滅亡を行わせまいとしました。それがこの陀羅尼の場面なんです。 アキャネ キャネ クリ ケンダリ センダリ マトオギ ジョウグリ ブロシャニ アッチ  「無数・有数・黒き輝きを持つ者たち・香を持ち・漆黒の皮膚を持つ者たち・不吉な宴会・大きな肉体・酒盃を干しては次々と語る・意をあらわにして更に言う」このような意味になります。クリシュナは黒き人と言われ、ハリークリシュナと言います。とても意味深いです。これは、マハーバーラタを知らないと、意味がわからないわけです。面白いです。

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